木の上の軍隊は実話?佐次田秀順・山口静雄のその後と2026年の現在を徹底解説
映画『木の上の軍隊』は、本当にあった出来事なのか。そして、終戦を知らないまま沖縄県伊江島のガジュマルの木で約2年間を過ごした2人の日本兵は、その後どのような人生を送ったのでしょうか。
物語のモデルとなったのは、沖縄県出身の佐次田秀順さんと宮崎県出身の山口静雄さんです。1945年の沖縄戦で生き残った2人は、日本の敗戦を知らないまま島に取り残され、1947年3月ごろまで樹上での生活を続けました。その後、2人はそれぞれ故郷に戻り、家族との生活を再び築いていきます。さらに2024年11月には、両家の遺族が伊江島で初めて対面しました。2023年の台風6号で倒れたガジュマルの再生も含め、2026年現在までの歩みを振り返ります。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 実話のモデル:佐次田秀順さんと山口静雄さん。1945年から約2年間、伊江島のガジュマルに身を隠した。
- その後の人生:1947年に樹上生活を終え、それぞれ沖縄と宮崎の故郷に戻り、農業などに従事した。
- 遺族の再会:2024年11月24日、両家の遺族が伊江島で初対面を果たした。
- ガジュマルの現在:2023年の台風6号で倒木したが、植え替えと再建が進められ、平和の象徴として受け継がれている。
- 映画との違い:実在した人物の名前や一部の設定は異なり、井上ひさしさんの原案による舞台作品を経て映画化された。
【実話だった】木の上の軍隊のモデルは佐次田秀順さんと山口静雄さん
『木の上の軍隊』は、実際に沖縄県伊江島で起きた出来事を基にした作品です。
モデルとなったのは、沖縄県うるま市出身の佐次田秀順さんと、宮崎県小林市出身の山口静雄さん。2人は太平洋戦争末期の1945年、伊江島での激しい地上戦を生き延びた日本兵でした。
1945年4月、伊江島で始まった壮絶な戦い
1945年4月16日、アメリカ軍は沖縄県伊江島に上陸しました。
伊江島には飛行場があり、軍事上の重要拠点となっていました。島では4月16日から21日までの6日間にわたって激しい地上戦が繰り広げられ、日本軍の組織的な抵抗は終わります。
映画の公式資料や沖縄の報道によると、この戦闘で犠牲になったのは日本兵約2,000人、島民約1,500人に上ります。
生き残った佐次田さんと山口さんは、米軍の攻撃から逃れるため壕などを転々としました。そして、葉が生い茂る大きなガジュマルの木を見つけ、そこに身を隠すことになります。
木の上で約2年間、どのように生活していたのか
2人の生活は、映画の印象以上に過酷なものでした。
昼間は米兵に見つからないよう、ガジュマルの木の上で息を潜めます。夜になると地上に降り、食べ物や水を探しました。
当初は焼け残った畑のキャベツなどを食べていましたが、その後、米軍の残飯やゴミ捨て場から食べられるものを探すようになります。
樹上にはガジュマルの枝を集めて寝床のような場所を作り、雨が降ればずぶ濡れになりながら寒さに耐えました。体調を崩したときには、もう一人が食料を探したり看病したりして、命をつないだと伝えられています。
特に重要なのは、2人が単独ではなく、互いに協力して生き延びたことです。佐次田さんは負傷していた山口さんを助け、食料を分け合いながら生活を続けました。
なぜ終戦を知らなかったのか
日本が降伏した1945年8月15日を過ぎても、2人は戦争が終わったことを知りませんでした。
当時の伊江島では、米軍による占領や住民の島外移送が行われていました。島民がいなくなり、通常の情報伝達手段も失われた環境では、戦争が終わったという知らせを受け取ることができなかったのです。
2人は援軍が来ることを期待しながら、樹上での生活を続けました。
転機となったのは1947年春です。島民が戻ってきたことに気づいた2人は、亡くなった戦友の名前を使って手紙を書き、畑に置きました。
返ってきた手紙には、戦争はすでに2年前に終わっていること、安心して姿を見せてほしいという内容が記されていました。
こうして2人は、長い樹上生活を終える決断をします。

【時系列で検証】1945年から1947年、そして2人の帰郷まで
『木の上の軍隊』の史実を理解するうえで、重要なのが1945年の伊江島上陸から1947年の帰還までの時間軸です。
特に注意したいのは、1947年3月という日付は、2人が木の上での生活を終えた時期であり、故郷に戻った日と必ずしも同じではないことです。
| 時期 | 出来事 | 史実上の意味 |
|---|---|---|
| 1944年 | 2人が召集され、伊江島へ派遣される | 沖縄戦に向かう軍務が始まる |
| 1945年4月16日 | 米軍が伊江島に上陸 | 激しい地上戦が始まる |
| 1945年4月21日 | 日本軍の組織的抵抗が終わる | 島の戦闘が大きな転換点を迎える |
| 1945年8月 | 日本が終戦を迎える | 2人は敗戦を知らず、隠れ続ける |
| 1945~1947年 | ガジュマルで生活 | 夜間に食料を調達し、互いに助け合う |
| 1947年3月ごろ | 島民からの手紙で終戦を知る | 約2年間の樹上生活が終わる |
| 1947年5月 | 佐次田さんが故郷へ帰郷 | 沖縄で農業・酪農の生活に戻る |
| 2023年8月 | 台風6号でガジュマルが倒木 | 地域で再建に向けた取り組みが始まる |
| 2024年11月24日 | 両家の遺族が伊江島で初対面 | 2人の体験が次世代へとつながる |
| 2025~2026年 | 映画公開と関連イベント | 戦後80年の節目に実話が広く紹介される |
この年表のうち、1947年3月については、琉球朝日放送の報道やニッポン放送の紹介記事でも、2人が樹上生活を終えた時期として伝えられています。
一方、映画公式サイトの人物紹介では、佐次田さんの帰郷は1947年5月とされています。つまり、木から降りた時期と故郷に戻った時期を分けて考える必要があります。
また、山口さんについては、帰郷後に宮崎県で農業に戻ったことが紹介されていますが、帰郷年月には資料間の記載に不整合があるため、1947年3月に帰郷したと一律に扱うことはできません。
【その後の人生】佐次田秀順さんと山口静雄さんは帰郷後どうなった?
約2年間の樹上生活を終えた2人は、それぞれの故郷へ戻りました。
映画では、木の上での極限状態が物語の中心ですが、実際の人生はそこからも続きました。家族のもとへ帰り、仕事を再開し、戦争で失われかけた日常を取り戻していったのです。
佐次田秀順さん:沖縄に戻り、酪農と農業に従事
佐次田秀順さんは、1917年7月28日生まれ。沖縄県うるま市の出身です。
出兵前は酪農や農業に携わっており、1939年に結婚。1940年には長男、1942年には長女が生まれていました。
1944年4月に召集され、同年11月に伊江島へ派遣されています。
1947年5月に故郷へ戻った後は、牛を飼い、サトウキビを植える仕事に復帰しました。
戦争によって長く離れていた家族との生活を再開し、その後も家庭を築いていきました。
晩年には、自身の沖縄戦体験を伊江島の子どもたちに伝える活動にも携わりました。RBC琉球放送が2005年に行った取材では、木の上で過ごした日々について語っています。
2009年6月11日、91歳で亡くなりました。
山口静雄さん:宮崎県小林市に戻り、農業を再開
もう一人のモデルである山口静雄さんは、1909年11月15日生まれ。宮崎県小林市細野の出身です。
出兵前は農業に従事し、軍用馬の育成にも携わっていました。
1944年に臨時召集を受け、妻と4人の子どもを残して沖縄へ出兵しました。
伊江島での激戦では、手足に複数の銃弾を受けるなど、大きな負傷を経験しています。佐次田さんに助けられ、2人で生き延びたことは、山口家にとっても大切な家族の歴史になりました。
帰郷後は宮崎県で農業に戻り、家族との生活を続けました。1952年には三女が誕生しています。
1988年6月8日、78歳で亡くなりました。
2人のその後を比較すると見えてくること
2人は同じガジュマルの木で生き延びましたが、戦後の人生はそれぞれ異なります。
佐次田さんは沖縄で農業・酪農を続け、山口さんは宮崎で農業に戻りました。2人の経験は同じでも、戦後の暮らしは別々の土地で営まれたのです。
ここで注目したいのは、2年間の出来事が単なる生還談では終わらなかったことです。2人が生き延びたことで、それぞれの家族に新しい世代が生まれ、現在まで命がつながりました。
映画が描く「生きる」というテーマは、実際の2人の人生にも重なっています。

【2024年11月の再会】2人の遺族が伊江島のガジュマルの下に集まった理由
『木の上の軍隊』の実話を語るうえで、2024年11月24日は大切な日です。
この日、山口静雄さんと佐次田秀順さんの遺族が、沖縄県伊江島を訪れ、2人が身を隠していたガジュマルの木の下で初めて対面しました。
約80年前、同じ木の上で命をつないだ2人。その子どもや家族が、長い年月を経て同じ場所に集まったのです。
山口家の遺族が父の足跡をたどる
山口静雄さんの次男・山口輝人さんら家族は、2024年11月に伊江島を訪問しました。
父が隠れていたガジュマルの木を実際に訪れ、木の上で過ごした2年間に思いを寄せました。
UMKテレビ宮崎の2025年7月の特集では、輝人さんが父の生き抜いた時間に対して、感謝の気持ちを示した様子が紹介されています。
「ここまで来られて感謝しています。父の2年間の生活に『お疲れ様』と伝えたい」
また、戦後に生まれた三女の平春子さんも、父が生き延びてくれたからこそ自分や子ども、孫たちの命がつながったという趣旨の思いを語っています。
佐次田家の遺族とも初対面を果たす
この訪問では、佐次田秀順さんの次男・佐次田満さんら遺族とも初めて顔を合わせました。
満さんにとって、ニーバンガズィマールは単なる歴史的な樹木ではありません。父の命を救い、その後の家族の人生をつないだ特別な存在です。
2025年4月の琉球新報の記事でも、2024年11月24日に両家の遺族がガジュマルの下に集まった様子が報じられました。
この出来事について大切なのは、再会したのが本人同士ではなく、両家の遺族だったという点です。佐次田さんと山口さんはすでに亡くなっています。だからこそ、子どもたちが伊江島で初めて出会い、父親たちの経験を共有したことには大きな意味があります。
【台風6号のその後】倒れたニーバンガズィマールは現在どうなった?
2人の物語を象徴するガジュマルにも、大きな出来事がありました。
2023年8月、台風6号の暴風によって、伊江村西江前にあったニーバンガズィマールが根元から倒れたのです。
この木は、沖縄戦当時に佐次田さんと山口さんが身を隠した場所として知られ、沖縄の名木百選にも選ばれていました。観光客や平和学習に訪れる学生たちにも親しまれていた樹木です。
2023年8月、台風6号で倒木
倒木が報じられたのは2023年8月7日から9日にかけてです。
長年、木の管理をしてきた地域住民からは、島のシンボルを失うことへの落胆と、何とか再生させたいという声が上がりました。
RBC琉球放送や琉球朝日放送の報道では、木の倒壊に対する住民の反応と、再生方法を検討する動きが紹介されています。
植え替えと再建が進められた
倒木後、伊江村などによる再生作業が進められました。
琉球新報によると、植え替え作業は2023年8月18日に完了し、同年9月14日には関係者が新たな木の成長を願う御願式を行いました。
映画の公式ロケ地マップにも、土を入れ替えて植え直し、支柱を強化して再建したことが記されています。
2026年10月現在、確認できる公式の観光・映画関連資料では、再建後の木が平和の象徴として紹介されています。ただし、その後の樹勢や成長を示す詳細な定期観察データまでは掲載されていません。
倒れた木の枝はコカリナに生まれ変わった
もう一つ、心に残る取り組みがあります。
倒れたニーバンガズィマールの枝を活用し、木製の笛「コカリナ」が作られたのです。
日本コカリナ協会によると、演奏家の黒坂黒太郎さんが木の枝を譲り受け、数十本のコカリナを製作しました。
2023年12月21日には伊江島の小学校で演奏会が開かれ、児童たちにもコカリナが贈られました。その後、2024年にも小学校で演奏会が行われています。
つまり、倒木によって木そのものの姿は変わりましたが、その一部は楽器となり、子どもたちの手に渡りました。
戦争を生き延びた2人を守った木が、今度は音楽を通して平和の記憶を伝えているのです。

【映画と史実の違い】井上ひさし原案の舞台から2025年の映画化まで
『木の上の軍隊』は、実話をそのまま映像化したドキュメンタリーではありません。
実際の出来事を土台にしながら、登場人物の名前や人物像、会話、物語の展開を演劇・映画として再構成した作品です。
実在人物と映画の登場人物の対応関係
映画では、堤真一さんと山田裕貴さんが2人の兵士を演じています。
- 山口静雄さんがモデル:山下一雄役(堤真一さん)
- 佐次田秀順さんがモデル:安慶名セイジュン役(山田裕貴さん)
実在した人物と映画内の役名は異なります。実話の中心となる樹上生活や終戦を知らなかった経緯は史実に基づいていますが、映画の人物設定や会話のすべてを実際の証言として受け取ることはできません。
井上ひさしさんが残した2行の原案
作品の出発点は、作家・劇作家の井上ひさしさんが晩年に残した2行のメモでした。
井上さんは、沖縄戦の悲惨な歴史の中で、2人の日本兵がガジュマルの木の上で生き延びたという話を知り、この出来事を作品にする構想を残しました。
井上さんの死後、その遺志を受け継いだのが、娘でこまつ座社長の井上麻矢さんです。劇作家の蓬莱竜太さんが脚本を手掛け、栗山民也さんが演出を担当しました。
舞台『木の上の軍隊』は2013年4月5日、東京・Bunkamuraシアターコクーンで初演されました。
井上ひさしさんが直接完成させた戯曲ではなく、残された原案を基に、次の世代の演劇人が作品として形にしたという経緯があります。
2025年、堤真一さんと山田裕貴さんで映画化
映画版は、沖縄出身の平一紘さんが監督・脚本を担当しました。
2025年6月13日に沖縄で先行公開され、7月25日から全国公開。太平洋戦争終結から80年という節目に、伊江島の実話が映画として広く紹介されました。
主な作品情報は次のとおりです。
- 作品名:木の上の軍隊
- 監督・脚本:平一紘
- 出演:堤真一、山田裕貴、津波竜斗、玉代勢圭司、尚玄、岸本尚泰、城間やよい、川田広樹、山西惇
- 原案:井上ひさし
- 主題歌:Anly「ニヌファブシ」
- 全国公開日:2025年7月25日
撮影では沖縄各地が使われ、伊江島の風景やガジュマルの木も作品の重要な要素になっています。
2026年1月13日の琉球朝日放送の報道では、映画の観客動員数は約27万人と紹介されました。那覇市の桜坂劇場では公開記念イベントも開かれ、平一紘監督と佐次田満さんの対談が行われています。
この対談で満さんは、父の火葬時に太ももの辺りから銃弾が出てきたことにも触れ、戦争の傷が人生の最後まで残っていたことを伝えました。
映画を見て物語の結末を知るだけではなく、実際に生き延びた人の身体にまで戦争の痕跡が残っていたという事実を知ることも、この作品を理解する重要な手がかりです。
【2026年に伝えたいこと】木の上の軍隊が残した本当の意味
『木の上の軍隊』の物語が長く語り継がれている理由は、単に2人の日本兵が約2年間も生き延びたという珍しい出来事だからではありません。
その背景には、沖縄戦で命を失った人々、家族と離れ離れになった住民、終戦後も戦争の情報を得られなかった人々の現実があります。
伊江島の戦争体験は2人だけの物語ではない
伊江島では、1945年4月のわずか6日間の地上戦で、多くの日本兵と島民が犠牲になりました。
島の飛行場をめぐる戦闘、住民の避難や移送、戦後の生活再建など、島全体が戦争によって大きく変わりました。
ガジュマルの上で生き延びた2人の物語は、その大きな歴史の一部分です。
映画の主人公だけに目を向けるのではなく、彼らが隠れていた木の下で何が起きていたのか、島民はどのような生活を強いられたのかという視点も欠かせません。
映画だけでは分からない帰郷後の人生
作品の中心は樹上生活ですが、実話を知るうえでは、帰郷後の人生にも注目したいところです。
佐次田さんは沖縄で農業と酪農に戻り、山口さんは宮崎で農業を再開しました。2人とも家族のもとへ帰り、それぞれの生活を築きました。
2024年に遺族が初対面を果たしたことも、物語が過去の出来事だけで終わっていないことを示しています。
2人が生き延びたことで生まれた家族、その家族が受け継いできた記憶。そして伊江島で育つ新たなガジュマル。人の命と地域の記憶が、別々の形で次の世代へ受け継がれています。
伊江島で史実に触れるならどこを見るべきか
映画の舞台となった伊江島には、実話や沖縄戦の歴史を学べる場所が残っています。
- ニーバンガズィマール:2人が実際に身を隠したガジュマル。台風後の再建の歴史も含めて知りたい場所。
- ミースィ公園:映画撮影で使用されたガジュマルが残る場所。
- 公益質屋跡:沖縄戦当時、日本軍が武器庫として利用した戦跡。
- 芳魂之塔:伊江島戦で亡くなった島民と軍人を慰霊する場所。
- 反戦平和資料館ヌチドゥタカラの家:伊江島の反戦・平和運動の歴史を学べる資料館。
映画のロケ地を訪れるだけでなく、戦跡や資料館も合わせて巡ることで、作品の背景にある伊江島の歴史をより深く理解できます。
【木の上の軍隊の実話とその後】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:木の上の軍隊は本当に実話ですか?
A1:はい。沖縄県伊江島で実際に起きた出来事が基になっています。モデルは佐次田秀順さんと山口静雄さんで、1945年から1947年まで約2年間、ガジュマルの木に身を隠して生活しました。
Q2:佐次田秀順さんはその後どうなりましたか?
A2:1947年に沖縄の故郷へ戻り、牛を飼う酪農やサトウキビ栽培などの仕事に復帰しました。2009年6月11日に91歳で亡くなっています。
Q3:山口静雄さんはその後どうなりましたか?
A3:宮崎県小林市の故郷に戻り、農業に従事しました。1988年6月8日に78歳で亡くなっています。
Q4:2人が木から降りたのはいつですか?
A4:1947年3月ごろです。島民が戻ってきたことを知り、手紙で終戦の知らせを受け取ったことがきっかけでした。なお、佐次田さんの帰郷時期は映画公式資料で1947年5月とされています。
Q5:2024年に再会したのは佐次田さんと山口さん本人ですか?
A5:いいえ。2人はすでに亡くなっており、2024年11月24日に伊江島で初対面を果たしたのは、それぞれの遺族です。
Q6:台風で倒れたガジュマルは現在も残っていますか?
A6:2023年の台風6号で倒木しましたが、その後に植え替えと再建が行われました。公式ロケ地マップでも、移植後の姿が紹介されています。また、倒れた木の枝からコカリナが作られ、伊江島の小学生に贈られました。
Q7:映画の登場人物と実在した兵士の名前は同じですか?
A7:異なります。山口静雄さんが山下一雄、佐次田秀順さんが安慶名セイジュンのモデルです。実話を基に、舞台・映画向けに人物設定が再構成されています。
まとめ:木の上の軍隊の実話とその後を知ることは、命の記憶を受け継ぐこと
『木の上の軍隊』のモデルとなった佐次田秀順さんと山口静雄さんは、1945年の沖縄戦を生き延び、終戦を知らないまま伊江島のガジュマルで約2年間を過ごしました。
1947年3月ごろ、島民からの手紙で終戦を知った2人は樹上生活を終え、それぞれ沖縄と宮崎の故郷へ戻りました。その後、佐次田さんは農業・酪農に、山口さんは農業に従事し、家族との人生を歩みました。
2024年11月には両家の遺族が伊江島で初めて対面。2023年の台風6号で倒れたガジュマルも、植え替えによる再建やコカリナへの活用を通じて、地域の記憶を伝え続けています。
2025年の映画化、2026年の関連イベントによって、2人の体験は戦争を知らない世代にも届くようになりました。
この物語を理解するために大切なのは、映画の感動的な結末だけを見ることではありません。実在した2人の名前、帰郷後の人生、伊江島で犠牲になった人々、そして遺族が受け継いできた記憶まで知ることです。
ガジュマルの木が守った2つの命は、その後の家族の命へとつながりました。『木の上の軍隊』は、戦争の悲惨さとともに、生き延びること、誰かと支え合うこと、そして記憶を次の世代へ伝えることの意味を、今も私たちに問いかけています。
主な根拠資料
(出典: 木の上の軍隊 実話 その後(Yahoo!ニュース))